条件付シナリオ

ところで、サカナを釣るということに、何か特別な条件は必要だろうか。サカナを釣るかどうかには、お金も人脈も、資格も、時間も関係ない。釣れる時は、すぐにでも釣れる。

もっと大きな視点で釣れるか釣れないかは決まる。ただいえることは、釣り糸を垂らさなければ釣れないということ。ボートの上で、じっとしていてもサカナが釣れることはない。

次のキャストでサカナに出会うという意図だけが、次のキャストを繰り出す活力になっている。しかし、こうしようと考えていた手順やスタイルは、実際、ことごとく「失敗」してきたように感じる。

しかし、大きな流れ自体は、確実に目的へと進んできているもの。ちょうど、車の移動を考えていたけれど、渋滞に巻き込まれたので、電車に変えた。経由ルートや手段は変わったけれど、目指している方向に変わりはない。

そんな感じだろう。方法は、いくらでもある。それに制限や条件を付けるのは、いつも自分。人生は、いつも想定外の最善の方法を提案してくれる。だから、「こうするべき」という制約は、いつも遠回りになる。

そうした制約や条件を作り出すのは、いつも、知らず知らずに積み上げられた観念。常識を破るとか、人と違うことをするというのは、この”自分の”観念を取り払うことにあるといえる。

そして、今、自分に必要なことは、その「条件付シナリオ」を、白紙に戻すことだろう。

[`yahoo` not found]
このエントリーを Google ブックマーク に追加
LINEで送る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)